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沿革
昭和12年、前会長安間甫により同町内にて創業 当時は檜材にて丸箸を製造した。その後太平洋戦争 にて中断したが、昭和22年ロータリー方式に改め再開する。
昭和28年に株式会社を設立。主に松材を原料として小判、 元禄、利久を製造していたがこれと平行してパプアニューギニア、 中国における製造拠点を開発し製品及び半製品の輸入販売を行う。
平成5年、中国福建省厦門市に関連会社 厦門安間竹木製品有限公司を設立。
平成8年、中国福建省龍岩市に鷺安食品有限公司を 設立。
平成15年、会社設立満50周年を迎える。
平成17年、新工場を建設し会社所在地を森町天宮383番地へ変更する。
私の履歴書
安間製箸株式会社 創立者 安間 甫
(1)生い立ち
明治42年2月15日、袋井市岡崎の池田や原(当時は小笠郡笠原村岡崎) という淋しい貧農の次男として生まれ、生活不況の時代で今日では想像もつかない 時代で3歳の頃より母親の実家に預けられ、小学校に上がる頃親元で小学校に 上がり4年生の時から農業の手伝いをして夏にはお茶が始まると学校を休み 勉強が遅れ成績も一段と下がり苦しい時代が続きやっと高等小学校を卒業すると 奉公に出る、やはり不況の最中、僅かな小遣いで縛られ食物も麦飯の中に南京米 入りご飯で仕事もきつくやっと5年の奉公を終えた。 時代も昭和になり3年の春、自動車の免許証を取得しトラックの運転手になり 月給も一挙に85円に!当時としては最高の給料取りになりました。
昭和23年磐田市駅前通り
(2)自立
その年甲種の免許証を取得したのでバス会社に入社することになり、昭和4年 6月22日風呂敷包み一つ持って森の町へ上がって来ました。 秋葉自動車運輸商会へ入社し当時は花形商売で月給も食事付き65円の給料取り となり給料の半分は親元に送り残りの給料を始末して生活し、昭和7年今の 家内と結婚し昭和12年10月堅い商売をしたい為色々と考えた結果、はやり すたりの無い割箸の製造を思い立ち機械を購入する。資金は今まで貯めた 預貯金では足りないので保険金を借りたり無尽を落としてやっと用立てた。 機械や工場を造り、自分はバス会社で働き乍割箸を製造した。やっと商売の 見通しも付きバス会社を退職し割箸製造に専念する様になり、昭和15年 豊橋の藤本商会の社長に認められ当時としては大金の2000円もの資金を 借り機械も2倍にして本格的に製造する様になりました。世は本格的な戦争と なり材料も統制の時代となり思うように仕事も出来ないようになりました。
(3)
昭和19年には徴用が来ることとなり一時休業することになり再びバス会社へ 入社終戦後の22年まで働き又元の割箸を製造する計画を立て藤本氏の応援を 得て再建することが出来、物資の無い時でアイスキャンデー棒が飛ぶように 売れ造っても造っても売れるようになり25年頃から食料事情も段々良くなり 本格的に割箸を造り東京の問屋と取引する様になり28年には法人組織にし社長 になり夢中で働き増産をした為無理が重なり火力乾燥機から出火、丸焼けとなり 多くの人に大変ご迷惑をお掛けしましたがやっと再建することが出来、製造を 始めたが10年足らずで又々全焼して丸裸になり失望の中で再度再建が出来 一所懸命に働き子供も協力してくれた為に今日に至り、長男に社長を譲り 会長となり振り返ると何度もの苦難の道を乗り越えて来れた事は自分でも 不思議に思います。
