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2008年02月10日
最後のリサイタル

今夜で見納めです
投稿者 sinbei : 02:47
2007年05月01日
継承

20年前に買ったカメラセットです
最近はデジカメばかりになってお蔵入してました
最近子供がデザイン系の学校に通い始め
カメラを使いたいというので譲ることにしました
でも長年のお蔵入の間にあちこち不具合が出て
います
1.シャッターを切るとミラーが上がったままに
なってしまいファインダーが真っ黒になる
どうもミラーがレンズの一部に当って引っかかるようです
レンズを少しこじるとミラーが戻ります
そこで、ミラーの先端をダイア砥石で削って修正しました
荒療治でしたが見事解決
2.フィルムケースのパッキンがボロボロになって
光が入ってしまう
こちらはブラインドで使っているゴムスポンジを
細く切って詰め込みました
まあなんとか使えるでしょう
使ってもらえるのは大変嬉しい
是非カメラファンになって欲しい
投稿者 sinbei : 17:08
2007年03月26日
教えてくれたこと
耕大が帰ってきて先月のリサイタルのDVDを置いて
いきました
1stステージの3曲目マーシーマーシーマーシーで
ソロを取っています 思い切りのソロです ありったけを
叩き付けるような勢いがありました
未完成ですが、今にしかない迫力、ツヤを感じました
人生は簡単だ 追いかければいい ずっと
そう教えてくれていました
投稿者 sinbei : 23:27
2007年02月18日
Singing All Stars

愛知学院大学 Singing All Stars の定期演奏会に行ってきました
耕大君も3年となり、バンドの中で重きをなすようになっているようです
1曲ソロを取りました 渾身の演奏でした
投稿者 sinbei : 00:10
2006年10月30日
耕大登場
名古屋の栄にある”ラシック”というショッピングモールに
耕大(息子)がやってるビッグバンドが出るというので見に
行きました
すっかり親バカです
2006年08月14日
バイト先
娘がバイトしている名古屋の31アイスクリームへ
ピックアップに行きました まだ少し時間があったので
アイスクリームを食べながら観察 結構ハードな仕事です
これで6時間じゃかなりきついだろうなと思いました
バイトの後腹が減ったというのでラーメン屋へ行きました
娘の注文はベトコンラーメンと餃子+生チュウでした
逞しくなったなぁ 後はエレガンスだよ
投稿者 sinbei : 09:06 | コメント (1) | トラックバック
2006年07月31日
面談
息子の担任の先生との面談があったので
高校へ行きました 夏休み中の学校の雰囲気もいい
もんです
正門を入るといたるところにブラバンの部員がいます
あっちこっちに散らばって各々の楽器を吹いていました
それぞれ周りにはお構いなしに自分の音だけに集中して
吹いている そのいろんな楽器の音が重なって聞こえます
自分達が意図せずに発している音の重なりが何かを伝えて
いる そんなことあの子達は知りもしない
次はビッグバンドを聴きたいなぁなどと思ってしまった
2006年04月14日
文明の転向
なにも難しい話じゃないんです
家の次男の名前が文明(ぶんめい)って言います
今度高校生になりましたが、部活は剣道だと入学以前から
決めていたそうです 小学生から剣道をやっていて中学に
なっても学校の部活以外に剣道を続け初段も取りました
だからよっぽど剣道に思い入れがあるんだろうな、と
思っていました
ところが入ってみるといきなり変化
ブラバンに入ると言い出しました 剣道はどこへ行った
長男も同じ高校のブラバンだったので、縁はあります
朝飯の時にキースジャレットをかけているような親
ですから影響もあるでしょう でも意外でした
思い出すと僕は高校に入ったら絶対ブラバンに入って
トランペットをやろうと決めていたのに、ブラバンの隣で
練習していた剣道部に入ってしまった 文明はそれを
知っていたんだろうか
投稿者 sinbei : 22:10 | コメント (13) | トラックバック
2005年11月28日
いも汁
子供の頃のこの季節、週に一度はいも汁だった。
おやじが無類のいも堀好きでね。 殺生も祭りも
似たようなもんだが、森の衆にはこの手が多い。
休みになると山へイモ堀に行って晩飯はイモ汁。
自分で掘って、自分でどろを落としおろして
すりこぎでする。 すり鉢を持つのはいつも僕の
仕事だった。 まず最初に醤油、すこしすって
酒、みりん。 表面に出てくるすり残しのイモを
つぶす。 少し泡だってくると卵を2個。
ときどきすりこぎを代われといわれて、腕がもつまで
頑張ってする。 頃合いを見てまた交代する。
親父はいつまででもすり続けられるような気がした。
右に回したり、反対に回すこともできた。 力があるな
と思った。
泡が細かくクリームのようになってくると大体すり上がり
みそ汁をいれて薄めていく。 最初は底の椎茸を沢山入れ
て一杯づつ。 きれに混ざるとまた一杯。 次は2杯。
イモがスーット糸を引く位に薄まるとそろそろ味見。
何故かいつも味見をさせられた。 任せられてるようで
嬉しい気がした。
”イモは消化がいいからいくらでも食え” ”こんな
飯が多くちゃあイモが入らじゃないか”いつもお袋に
小言を言った。 いつも沢山食べた。
祭が終わって、気持ちが落ち着いたのか急にイモが
食べたくなって今夜やってみた。 息子にもこの作り方
教えておかにゃいかんなとか思った。
2005年10月09日
材料確保
もうじき解体する予定の前に住んでいた家。
僕が幼稚園の頃に建てられて、その後2回の建て増しを
した。 僕たち5人兄弟が育った家。
親父の話では外材は1本も使ってないと自慢だった。
と言うほど立派な家ではない。 そんなお金もなかったはずだけど
木を商売にしていた親父には全部国産材でというこだわりが
大切だったんだろう。 建てた当初は本当に小さな家で
子供が4人だったので6畳の部屋に2段ベットが2個並んでいる
ように窮屈だった。(その後さらに一人増える)
僕が会社を辞めてこの家に戻って来てからは、僕の家族の家に
なった。 もう使い古しの家なんで、あっちこっち傷んでいたし
大工仕事が大好きな僕は改造のし放題だった。 まず娘の部屋を
畳から板の間に改造。 床に檜の板をはり壁にも檜をはり、土壁も
塗り直した。
次は息子二人が使っていた2階の12畳。 これも畳を檜の床にして
尚かつ2部屋に分割した。 お蔵を再利用したこの2階はどでかい
梁が通っていて山小屋みたいにいい雰囲気になった。
どちらの時も材料は仲間の材木やで分けてもらった。 ちょいと訳ありで
安いんだけど本物の檜だった。 だから解体しても、この材料だけは
もう一度使いたかった。 自分で張った板なんでどうやったらはがれるか
も分かってる。 昨日はがしてみると、それを張った当時の手順が再生
されるみたいで面白かった。 釘を打つ場所もちゃんと計算されていて、
丁寧な仕事してるなと感心。
これで今回の山小屋改造の壁材の一部が確保できた。
家が解体されても少しは寂しくないだろうと。
2005年09月24日
耕大からのメール
突然でゴメン・・・安間耕大という件名でメールが入る
胸騒ぎ、なんのこっちゃろ。
開けてみたら
安間耕大ー将来の設計という立派な文章であった。
将来はインテリアの仕事をしたいのでそのための資格を取りたい。
だから卒業後も直ぐには就職しないで専門学校に通いたい。
これは逃げではない。 学費も自分で稼ぐから心配しなくていい。
という概要であった。 泣けてきた。
入試の頃は逃げてばっかりでどうしようもない奴だと思ったものだ。
でもやりたいことが見つかればエンジンの掛かるやつだとも思っていた
から、何事か見つけてくれたのは嬉しい。
ビックバンドでバリバリやってくれい!